住み継ぐスタイル
Episode 1
まちの記憶を受け継ぎながら暮らしていくことを、私たちは「住み継ぐスタイル」と名づけました。このページでは小川の家をふるさととして育った人(物件オーナー)と、その家を未来のふるさとにしていく(移住者)のエピソードを紹介します。
町外の方々に気づかされる良さ
物件オーナー:笠間洋右さん・俊宏さん(カサマ・エステート)
“わらしべ”が入居している物件は、間口が狭く、奥行きが深い、のっぽな区画だ。両隣の家屋との間は、猫の小径ほどの隙間しかない。中山道の側道に当たる旧街道沿いに、肩を組むように店が軒を並べていた様子から、和紙の町・小川のかつての繁栄ぶりが想像できる。
大家であるカサマ・エステート先代の笠間洋右さんは、昭和17年に小川で生まれ育った。当時、旧街道にあった店を事細かに記憶している。わらしべが坂本時計店だった当時、通りには鮮魚店、洋品店、今では関東一円に拡大したスーパーマーケット・ヤオコー本店など、専門店がひしめいていた。警察や郵便局といった町の機能も、周辺に集まっていたという。 ヤオコー会長の川野幸夫さんは同級生だ。同世代には会社経営者が多く、洋右さんも、不動産業の傍ら自動車整備販売業を起業したこともある。笠間家は、現代表の長男の俊宏さんで12代目となる名家で、洋右さん自身も、築80年近い由緒ある和建築に住む。
カサマ・エステートの扱う物件は、秩父事件の刃痕を残していたわらしべのような古い家屋から、最新工法の洋風マンションまで幅広い。時代の変化を見据えつつ、「どうしたら物件に需要が生まれるかをいつも考えている」と洋右さんは言う。
坂本時計店が、時代の趨勢で店をたたみ、返された時は驚いたという。後に、その空き家を山下夫妻が見つけることになる。俊宏さんは「仲睦まじい夫妻に丁寧に使っていただけて本当に良かった」と、偶然の引き合わせに安堵している様子だ。
小川を知り尽くしているからこそ、洋右さんはつい辛口にもなるが、心中で町再興を強く願っていることが伝わる。俊宏さんは、そんな父親の胸の内に寄り添いつつ、こんな希望を口にした。 「かえって町外の人の方が、小川の良いところをよく知っていらっしゃる。灯台下暗し、ですよね。おいしい空気と水、私たちはそれが当たり前の環境で育っていますから。町外の方々に気づかされる良さはあります」。
築145年の佇まいに一目惚れ
移住者:山下嘉彦さん・由美子さん(有機野菜食堂「わらしべ」)
「即決でした」。山下夫妻は13年前、一目でこの古い商家の重厚な佇まいに惚れ込んだ。「予約なしでふらっと立ち寄れる、みんなの日常のなかにあるお店」を思い描いていた夫妻にとって、これ以上ぴったりくる物件はなかった。一般住宅に改装予定だったがらんどうの家をそのまま借り受け、内装はDIYし、有機野菜食堂「わらしべ」をオープンさせた。堂々とした漆黒の梁、木格子から差し込む朝の柔らかな光に「ほっとする」と由美子さん。築145年を誇る家屋は、古木のようにずっと町を見続けてきた。使い込まれた飴色の柱やキズも、先人たちの人生を支えた証だ。
小川の夏は酷暑だが、クーラーは使わず、扇風機で乗り切る。嘉彦さんが「昔の家は夏の気候を意識して造られた」と話す通り、風が南から北に抜けやすく、わりと涼しい。真夏、扉を開けた客は「あれ、ひんやりするねー」と感想をもらす。
古い家屋だが、「気にかけていることは何もない」と夫妻は口を揃える。住むほどにしっかり建てられた家屋への信頼は増すという。「かえって古い柱の方が頑丈で、私たちが足した柱に虫がついたりして」と、由美子さんは笑う。
北側にささやかなブドウ棚がある。13年の月日は、嘉彦さんがホームセンターで購入し、自転車で連れてきたベリーAの苗を大きく成長させた。収穫した実は、夏のカキ氷シロップや、自家製パンの酵母となって、メニューに登場している。
夫妻に休日によく出かけるスポットを尋ねてみると、町の中央を流れる清流「槻つき川」という答えが返ってきた。春は嵐山渓谷下流の桜堤からの花見を楽しんだり、よもぎの季節になればよもぎ摘みをしたり、秋には80メートルにも渡って咲く彼岸花を眺めたりと、この土地らしい四季折々の自然の変化を肌で感じることができるのが、その理由だ。 夫婦の趣味は自転車での遠出。この商家は、以前時計店で、その前は自転車店だったというから、二人がこの店舗に導かれたのは必然、だったのかもしれない。
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