小川町移住サポートセンター

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小川町の魅力

小川町のひとびと Ogawa Spirit

住み継ぐスタイル

Episode 4

まちの記憶を受け継ぎながら暮らしていくことを、私たちは「住み継ぐスタイル」と名づけました。このページでは小川の家をふるさととして育った人(物件オーナー)と、その家を未来のふるさとにしていく(移住者)のエピソードを紹介します。

思い出の詰まった家の再スタート

物件オーナー:加藤久典さん

明治22年、町村制の公布によって誕生した小川の初代町長を祖父に持つ加藤久典さんは、小学生から大学を卒業するまでの間をこの家で過ごした。当時の町の様子を「それは華やかなものでした」と話す。きらびやかな神輿や山車で賑わう祇園祭のざわめき、和紙で彩られた七夕おどり。冬になると、和紙の原料である楮の皮むきを、お喋りしながらする女性たちの姿を槻川で見ることができた。「盆地にあり、水も美しい小川町は、小京都の名にふさわしい、風情のある風景でしたね」。

家にもたくさんの思い出がある。広い庭で兄弟や近所の子供たちとキャッチボールやベーゴマ、メンコをして遊んだこと、家を吹き抜ける風の気持ち良さ。夏になると、ランドセルを家に放り投げて槻川へ泳ぎに出かけ、家の裏にある沢で沢ガニを捕まえた。時にはいたずらをして穀物蔵に閉じ込められたこともあった。

母親は14年前に亡くなるまでこの家に住んでいたが、加藤さん自身は就職を機に小川町を離れている。しかし、仲間とともにこの家を訪れては、広い母屋で酒を酌み交わしたことも数えきれない。たくさんの記憶が詰まった家を人のいないままにしていることを心のどこかで気にしつつも、すでに他の地に根を張った今から小川町に戻るのは難しかった。「記録によると、加藤家は元禄時代までさかのぼることができるんです。この家にも1110年という歴史があるし、このまま朽ちさせてしまうのはやはり心残りでした」。移住サポートセンターから、「この家を借りたい人がいる」と連絡が入ったのは、そう考えていた頃だ。

家に求める条件が奇跡的に整ったという湯浅さんの申し出を断る理由はなかった。加藤さんは「思い出のある家を活用していただけるなら」と快諾。今も改修が進む家を訪れては、湯浅さんの「庭の梅がたくさんなりましたよ」といった報告に目を細める。新しい住人によって、再びこの家に思い出が紡がれていくことを、加藤さんもまた楽しみにしている。

暮らしながら育てていく終の棲み家

移住者:湯浅学さん(音楽評論家)

秩父の山並みを臨む小高い土地に建つ、小川町の初代町長を務めた加藤忠雄氏の元・住居。ここに2018年の春から住まいを移すのは、音楽評論家として多くの雑誌、書籍、イベントなどで活躍する湯浅学さんだ。30年近く前にニューヨークで有機野菜に出会い、自らも自然農を実践する湯浅さん夫妻は、2年ほど前から「畑のそばの家」を探していた。しかし「見積もりに来た引っ越し業者が“うちでは無理です”って名刺引っ込めて帰っちゃった(笑)」というほどのレコードや書籍を持っている湯浅さんにとって、広さも重要だった。また車を運転しない夫妻には駅から歩ける距離というのも外せない。

この条件に合う住まい探しは難航を極め、「小川にいい家がある」と聞いた時も、心のどこかで「きっと無理だろう」と思っていた。しかし実際見てみると、広さは充分で駅からは徒歩圏内。10分とかからない土地に畑もある。古く、手入れは必要ではあるものの、ほぼ理想通りだった。「よく考えたら、小川町には昔っから縁があったんだよね」。有機農業に興味を持ち始めた頃に行ったセミナーで、有機農業のパイオニアである金子美登さんを知り、それ以降は種の交換会や、知り合いの農家の手伝いで肥料用の鶏糞を分けてもらうため、何度もこの地を訪れる機会があったのだ。「単純だからさ、縁があるって思ったら小川町への気持ちがバーッと盛り上がっちゃった」。

一足先に去年から畑でにんじんや小豆を育てているが「ほったらかし農法だけど、しっかり育ってるよ。ミミズもいるし、やわらかくてすごくいい土なんだ」とうれしげだ。住居は今も改修中で「想像以上に大変!」と言うが、「自然農を共有できる場もあるし、蔵にオーディオを置けばいい音で聴く環境も作れる。改修はいつまでかかるかわからないけど、やることがいっぱいあってなかなか楽しいよ」と笑う。完成している家ではないからこそ、住みながら育てていく楽しみが、ここにはあるのだ。

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